こんなこんな世の中なんて

今年受けた健康診断の結果、いつも指摘されていた低体重(瘦せっぽちなのです)と貧血がさらに進行。
とうとう腎機能の低下も指摘されてしまいました。
すでに数年前に、ヘモグロビン基準値12~16g/dLの所、10g/dLしか無いと指摘されていたのに、今回はさらに7g/dLにまで低下。常人の半分の濃さ。
以前から少し動くだけでめまいはしていましたが、そりゃ~近頃は動悸も激しくする訳だ。
「水が体内を巡っているようなもの。交通事故にでも遭って出血したら簡単に死む」と言われてしまいましたよ。 先生、他人事だからってそんなズケッと・・・w
日頃の運動不足と、年寄り家族に合わせてあんまり肉食べてないからでしょうか。
あと、亡き父も晩年は貧血になってたので、遺伝体質もあるかもナ~。
父は腎臓結石やってたし、腎癌で亡くなりました。父方の祖父も泌尿器系の癌で亡くなっていて、父の兄弟男ばかり6人中、4人が泌尿器の結石やってます。うちの姉も腎臓系に問題ありで。
遺伝てこあいよ。血筋は自分でどうにもならないから、何らかの症状が出ても対症療法で気を付けるしかない。
皆さんも体調管理には十分に気を付けましょうね。
PPK(ピンピンコロリ)で人生閉めたいですよ。
トホホ。
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名作SF映画 ブレードランナー
一作目は、2019年の未来が舞台になっていましたね。
この時代には遺伝子工学が花形産業になっていて、レプリカントと呼ばれるアンドロイドを製造して、進出した宇宙では人間に変わって危険な作業をさせています。反乱を起こして地球に逃れて来たレプリカントたちと、特捜官ブレードランナーとの死闘を描いた作品でしたが、その30年後を描いたのが今回の新作らしいです。
TVで数日前に1982年製作の第一作が何度目かの深夜放映されており、何度も観ているのに今回もやはり観てしまいました。
昔、原稿描いたの思い出して、捜したらありました。
B5の見開きです。20年以上前の絵ですが。
アップのレイチェルのギョロ眼は、特捜官デッカードの部屋で愛をはぐくむワンシーンですが、コントラストが非常に強かったんですよ。人間の瞳(め)や肉体に強い関心を寄せた作品でありました。本当は文字とセットでしたが、絵はそのままで文章のみ消し、編集して以下に掲載します。
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この映画は自分の貧困な脳細胞が識っている通り一遍のSF映画から著しく逸脱していました。塵1つ落ちていない『輝ける未来。画一的理想社会』ではなく、ただ停滞した現在がそのまま延長しているだけの社会。空飛ぶ車(宇宙船)も一部描かれていたものの、交通渋滞・酸性雨・いかがわしい電飾看板(強力わかもとですよ、トホ~)やあんぐら劇場、現代のあらゆる社会問題を混然と抱え込んだままの街に様々な人種がひしめいている。人間たちの息遣いがそこには確かにありました。
そんな街に、奇妙な緊張感とぎこちなさを伴って統合失調症にも似た人造人間(レプリカント)たちが脱走・暗躍する。ブレードランナーに見つかれば抹殺され、それは解任と呼ばれる。古典的なクリーチャー(人工生命体)ものを斬新に色付けしたようなテーマでした。何故、人間に近付き過ぎた人工知能はああも哀しいのか。4年の寿命設定という限定された生を生きる苦悩。苛立ち、焦燥、死への恐怖、生への執着、絶望。
人が持つ、人間に隷属させられた人造物への憐憫の情。レプリカント女性陣がまた絶品で一層哀れさをそそりました。そしてレプリカントのリーダー役のルトガー・ハウアーが追いかけてくるあの恐ろしさと言ったら!w
ちなみにこの映画は5つもバージョンがあって、最後の主人公たちの逃避行シーンや、主人公のナレーションが有ったり無かったりします。観客がマニアばかりとは限らないので、最初の興業では大衆受けに甘い味付けが加味されているのは致し方ないですかね。私は苦い結末が好きかな。レプリカントたちの冥福を祈りたくなります。
この頽廃した近接未来観。シド・ミードのディテールまで徹底的に掘り下げられた都市設計とバンゲリスの音楽のコンボに魂を持っていかれ、廃墟やサイバーパンク信仰に目覚めてしまった人もいたはず。未来観を明確に絞り込み、練り込まないと、こういう映画はもう創れないかもしれないですね。
自分には色あせる事の無い名作です。

見開き右側。プリスとレイチェル。
頽廃キャラデザの女性陣。魂持っていかれました。

見開き左側。 レプリカントリーダー、ロイ・バッティ役の
ルトガー・ハウアー。ひたすら恐ろしい男です。
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バンゲリス作曲のサントラ盤は、未だに時々取り出しては聴いてます。作中の方がアレンジが効いてて、CDのペットが映画ではシンセになってたり、少しずつ違いはありますが、とても酔えます。偶然にもこの放映の数日前に聴いた所でした。
調べてたらデッカード自身もレプリカントじゃないかと一部のコアなファンの間で噂が飛び交っていたらしいですが、私は違うと思います。体力・腕力ではデッカードは全然レプリカントにかなわず、やっつけたのは女性のみ。(うち1人は逃げる背中を後ろから射殺) 男レプリカントにはボコボコにされてたので。情けない人間とレプリカントの対比として製作陣はあの形にしたのではないかと。それともこのネタは、製作側が謎というか話題を振り撒くために生み出したトリビアなのかも。
さて・・・第二弾は期待と不安が入り混じる所。
二番煎じ三番煎じと人気取りが進んで駄作さが際立つ『ターミネーター』と同じ轍は踏んで欲しくないです。
そうでなくても、CG技術が進んだ事で、逆にCG一辺倒とまで言わなくても、脚本が陳腐な映画も散見されるので・・・。
CGはあくまで表現するための道具。作品の質に大きく関わる大切な事には違いないけれど、技術そのものを見せるものとはちょっと違いますよね。
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私は いちごどぼろ~・・・。
勿論、うちの親父が馬鹿で非常識だったというテーマです。
親を馬鹿にするんじゃない! とお叱りの声も聞こえてきそうですが、勿論、食わせてもらった恩はありますし感謝しています。しかし多少大きくなってからは、『育ててもらった』といえるかどうか、何だか怪しい父でした。『子供親父』ってーのか、死ぬまでガキのまんまで、私達子供がある程度大きくなってからは親父の子供っぽさに辟易する事も多かったので・・・。
占い師さんには『家族団らんとは程遠い、ぬくもりの無い家庭で育った』と看破されてしまいましたよ。
私がまだ子供の頃、ある日曜日、突然パン!という大きい音が響いてびっくりして振り向くと、親父の所業でした。小さいピストルのおもちゃを買ってきて、庭木に来る雀を追い払うとかほざいてましたw ご近所迷惑だっちゅうに。
はたまた小学生だったある日曜日にも。車を洗ってたら近所の幼馴染のYちゃんが通りかかったそうで、Yちゃんを車に乗せてドライブに出かけたんだそうです。Yちゃんは車に酔ってゲロ吐いてしまい、あとで親御さんから母に苦情が入って、夕食時に父は母に叱られてました。
多分親御さんの許可も得ずに出かけたと思います。今なら誘拐騒ぎですよ。何より私が家の中にいたのに、何故自分の子供は放っておいてよその子だけ連れて行くんだよ!?
学生時代のある日曜の昼下がり、従兄弟から怒った口調で『伯父さんおらん?』と電話がかかってきた事も。
その日、父一人で従兄弟の家に遊びに行き、小学生だった従兄弟にねだられて友達数人とともに郊外のボーリング場に連れて行ったのだそうです。子供たちはゲームコーナーが目当て。大人一人で退屈なのは解かるけど、子供たちを置き去りにしてどこかへ行ってしまったのだとか。そりゃー従兄弟も怒るわ。父曰く、子供たちに帰っていいかと訊いた所、うんと返事をしたそうで。だけどゲームに夢中になってるんだから、生返事にもなるでしょう。帰りの足はどーするんだよ。そんな事すら解からないのか・・・。
う~む、日曜に父の悪行が目立ちますな・・・。
ご近所の飼いワンコに石をぶつけたり、訴えられても仕方ないような事も。
父自身も男ばかり6人兄弟で、貧しい水飲み百姓の家庭で放埓に育ったので、子供を大切にするなんて感覚、身に着けてなかったのかも。致し方ないと言えるかもしれません。他人に気遣いなんてできる人間ではありませんでしたねw
しかし私にも『従犯』の経験が・・・。
幼稚園か小1の時、やはり日曜日に、いつものようにどこかを徘徊してきた父が『苺がなってる。取りに行こう!』というのです。喜んで付いて行き、ポケット一杯に苺を摘んで帰って来ました。
夕食時に父が母にその話をした所、『それはよその畑では』・・・。父は叱られてました。
そうだ・・・。今思うと、きちんと畑の畝(うね)が作ってあったような・・・。
すごい雑草だらけで、その時は子供の目には他人様の土地だって判別が付かなかったんです。そこに行くには大人の背丈位ある藪をかき分けて踏み込む状態だったし・・・。父はそんな藪の中を、向こうに何があるかもわからないまま踏み入ったんだろうか。何がやりたかったのか、完全に怪しいおっさんじゃんか・・・。
ああ~言い訳ばっかりだ。私も『苺どぼろ~』です~~。ごみんなさ~~い!!!(完全に冷やし汁)
年末の大掃除でも母が毎年メインでやってて、父は母の命令で窓拭きやっただけで得意顔。
放り出してぱちんこに行ってしまい、昼ご飯時にはきっちり帰って来て、激怒した母にほうきでブッ叩かれてた事もありました。私? そこは台所でしたけど、もぉ、とばっちりを受けないように隣の部屋にそっと避難しましたわい。ひとしきり怒った後、新たに父に仕事を言い付けて、母は掃除の持ち場へ戻り。
と? 父はペンギンみたいな真ん丸な目をして私の所へやって来て、「母ちゃん何て言っとった?」
・・・母に殴られたショックで言い付けられた仕事がスッ飛んだようで。笑える情けなさ・・・。
はあ~溜息・・・。
ほんの一部を列挙するだけでも情けなさが募り、自分がこの人の血を継いでいるのか~と思うと、もっとトホホです。
もっと貫禄のあるきちんとした『お父さん』て感じの父親が欲しかった~。今頃言っても子供時代は戻りませんけれどw。
どこの家もこんなものでしょうか?
隣の家の芝生は青く見えるのでしょうか?

画像はhttp://labaq.com/ より
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ギャグ怪談。お盆に親父が地獄から戻って参りまして~。
(冷やし汁)。
深い宗教感など持ち合わせておりませんが、私個人は俗にいう『あの世』は存在する。そして人間は本来霊魂であり、あの世から肉(身体)をかぶって『この世』に降りて来ている。と考えております。
(新興宗教の類には属しておりません。冠婚葬祭の時だけいんちきブッ教徒です。)
以下に述べる一連の父の件でますます『人間は霊魂』の意を強くしております。
我が馬鹿タレ親父は13年前に亡くなっておりますが、父が亡くなった後、不思議体験を何度かしております。
いや、亡くなる間際からかな。
癌で亡くなり、幸い自宅で看取る事は出来ましたが、亡くなる間際1時間前くらいに、しょっちゅう母と遊んでいる伯母達(母の姉と妹)が自宅にやって来たのです。午前のまだ早い時間帯で、これまで一度もこんな時間に遊びに来た事はなかったのに。あれは父や母の守護霊だか指導霊だか、この世のものでない存在が伯母達を呼び寄せたのだと思います。
そして父の葬儀の後、恥ずかしながら疲れ切って居間のソファで仰向けにうたた寝していたのですが・・・。
仏間はありますが、新家ですのでまだ仏壇は置いてなく、白塗りの祭壇が一時的に置いてありました。
仏間は居間の北側にあり、襖で仕切られた和室で、その時は4枚戸が左右両ふちをそれぞれ20cm位開けて2枚ずつ重ねてあったのですが、白い人型の靄が祭壇の前に湧いたかと思うと、20cmの狭い隙間をくぐり、こちらにやって来たのが見えたのです。眼をそちらに向けていたわけでもないのに、何故か解かりました。その靄が短足の脚に変わり、親父の声で「ありがと」と聞こえたのです。これも脚の気配だけ見えました。
わざわざ真ん中の大きく開けてある空間でなく、狭い隙間を通って来るところが親父らしいw
今でこそ笑い話にもできますが、亡くなって半年くらいはずっと辛かったです。祖父母とは別居なので同居家族が亡くなる経験は初めてでしたし。
半年経った頃に、夢の中で建て替える前の家の台所で父と並んで座り、父が「もう行かないかん」というので私は名残り惜しく父の手を取り・・・。そこで目が覚めましたが、もぉびっくり。両手に生前と同じ父の手の感触がもろに残っていたのです。いつまでも愚図愚図と悲しんでばかりではいけないのだなと反省しました。
そして一年が経って、一周忌の法要を済ませた晩(というより明け方)。普段家族が唱えているお経でなくお寺さんでお経を詠んで頂くとどうやらあの世でも解かるようで、父は私の枕元にやってきました。
何故か上半身裸で仕事ズボン履いて、草履を小脇に抱えてw。どこから上がって来たんだかw
十年位若返った姿でしたか、身体からドライアイスのような霊気がショワショワと立ち昇っていて、確かにあれはこの世の者ではありませんでした。へらへら笑っていましたヨ。
極めつけは3年目のお盆。この年は父の影が特別濃かったです。
お盆の前日に母が墓掃除に行って、帰宅後にソファで疲れて仰向けでうたた寝していたら、眼を覚ましたらどーんと父の顏がアップで覗き込んでいたそうで。夕食時にその話をして母はげらげら笑ってました。
(翌年のお盆の時にこの話をしたら母は既に忘れ去っておりましたけれど。)
そしてお盆の迎え火・送り火も焚いて無事に送り返した翌々日。
夜11時過ぎ、母はもう寝室に行き、一人で居間でTVを観ていたら何故か急に睡魔に襲われて。
座椅子に座った状態でがくりと首だけうな垂れて眠ってしまいました。
TVだけは気力を振り絞って消し、そのまま静けさが訪れて・・・。
その時は台所を背(壁)にしていたのですが、暗い台所から片手にタオルを長く持ったモモ引き姿の父が現れ、
がに股でトコトコ私の横へ歩いて来たかと思うと、くいっとこちらへ向き直り、ペシッとタオルで私の頭を一つ叩きやがって。親父は生前、蚊を落とす時にコレやってました。俺は蚊じゃネ~~!!
しかし家族だから解かる、これは「おい元気でやっとるか?」という挨拶ですw。
そのまま何も言わずに私の前を通りすぎて仏間に向かうので、焦った私は「あ・・・お父さんが行ってしまう。
言わなくては。感謝してるとか、お父さんの子で良かった。とかじゃなくって」(本当にこのままの思考しました)。仏間に行った父の背に拳を振り上げて「宝くじ当ててくれ~~!!」と叫んだのです。
と? 父は体幹と両手をくにゃりとS字型に曲げ、奇妙なポーズを取って、振り返りもせずに「そぉぉ~れはちょっとナ~~」とほざき、仏壇の前でふわりと消え、そこでハッと目が覚めました。
眼が覚めて思った事は「こんの糞親父が~~! 可愛い妻子に宝くじの一つも当ててやれんのか~~(激怒)」
www。
な~んでお盆で送った後にうちの中をウロウロしとるんだっ。
翌日、玄関に置いてあるチワワとパグの陶器の置物に向かって「今度親父が家に入って来たら、吠えまくって地獄に追い返せ!」と言い付けました。や、犬は地獄の使者と言いますし。
もぉ~殆どギャグです。いや、うちの父はよく言えばひょうきん、悪く言えば馬鹿タレでしたので。
馬鹿は死んでも治らない。のです。
そして4年目のお盆からは、送り火を焚く時に「さっさと地獄へ帰りやがれぃ~」と祈るようになりましたw。
まあ・・・、近しい家族が亡くなったり病んだりすると、死生観は変わると実感はしておりますけどね。

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