名作SF映画 ブレードランナー
一作目は、2019年の未来が舞台になっていましたね。
この時代には遺伝子工学が花形産業になっていて、レプリカントと呼ばれるアンドロイドを製造して、進出した宇宙では人間に変わって危険な作業をさせています。反乱を起こして地球に逃れて来たレプリカントたちと、特捜官ブレードランナーとの死闘を描いた作品でしたが、その30年後を描いたのが今回の新作らしいです。
TVで数日前に1982年製作の第一作が何度目かの深夜放映されており、何度も観ているのに今回もやはり観てしまいました。
昔、原稿描いたの思い出して、捜したらありました。
B5の見開きです。20年以上前の絵ですが。
アップのレイチェルのギョロ眼は、特捜官デッカードの部屋で愛をはぐくむワンシーンですが、コントラストが非常に強かったんですよ。人間の瞳(め)や肉体に強い関心を寄せた作品でありました。本当は文字とセットでしたが、絵はそのままで文章のみ消し、編集して以下に掲載します。
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この映画は自分の貧困な脳細胞が識っている通り一遍のSF映画から著しく逸脱していました。塵1つ落ちていない『輝ける未来。画一的理想社会』ではなく、ただ停滞した現在がそのまま延長しているだけの社会。空飛ぶ車(宇宙船)も一部描かれていたものの、交通渋滞・酸性雨・いかがわしい電飾看板(強力わかもとですよ、トホ~)やあんぐら劇場、現代のあらゆる社会問題を混然と抱え込んだままの街に様々な人種がひしめいている。人間たちの息遣いがそこには確かにありました。
そんな街に、奇妙な緊張感とぎこちなさを伴って統合失調症にも似た人造人間(レプリカント)たちが脱走・暗躍する。ブレードランナーに見つかれば抹殺され、それは解任と呼ばれる。古典的なクリーチャー(人工生命体)ものを斬新に色付けしたようなテーマでした。何故、人間に近付き過ぎた人工知能はああも哀しいのか。4年の寿命設定という限定された生を生きる苦悩。苛立ち、焦燥、死への恐怖、生への執着、絶望。
人が持つ、人間に隷属させられた人造物への憐憫の情。レプリカント女性陣がまた絶品で一層哀れさをそそりました。そしてレプリカントのリーダー役のルトガー・ハウアーが追いかけてくるあの恐ろしさと言ったら!w
ちなみにこの映画は5つもバージョンがあって、最後の主人公たちの逃避行シーンや、主人公のナレーションが有ったり無かったりします。観客がマニアばかりとは限らないので、最初の興業では大衆受けに甘い味付けが加味されているのは致し方ないですかね。私は苦い結末が好きかな。レプリカントたちの冥福を祈りたくなります。
この頽廃した近接未来観。シド・ミードのディテールまで徹底的に掘り下げられた都市設計とバンゲリスの音楽のコンボに魂を持っていかれ、廃墟やサイバーパンク信仰に目覚めてしまった人もいたはず。未来観を明確に絞り込み、練り込まないと、こういう映画はもう創れないかもしれないですね。
自分には色あせる事の無い名作です。

見開き右側。プリスとレイチェル。
頽廃キャラデザの女性陣。魂持っていかれました。

見開き左側。 レプリカントリーダー、ロイ・バッティ役の
ルトガー・ハウアー。ひたすら恐ろしい男です。
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バンゲリス作曲のサントラ盤は、未だに時々取り出しては聴いてます。作中の方がアレンジが効いてて、CDのペットが映画ではシンセになってたり、少しずつ違いはありますが、とても酔えます。偶然にもこの放映の数日前に聴いた所でした。
調べてたらデッカード自身もレプリカントじゃないかと一部のコアなファンの間で噂が飛び交っていたらしいですが、私は違うと思います。体力・腕力ではデッカードは全然レプリカントにかなわず、やっつけたのは女性のみ。(うち1人は逃げる背中を後ろから射殺) 男レプリカントにはボコボコにされてたので。情けない人間とレプリカントの対比として製作陣はあの形にしたのではないかと。それともこのネタは、製作側が謎というか話題を振り撒くために生み出したトリビアなのかも。
さて・・・第二弾は期待と不安が入り混じる所。
二番煎じ三番煎じと人気取りが進んで駄作さが際立つ『ターミネーター』と同じ轍は踏んで欲しくないです。
そうでなくても、CG技術が進んだ事で、逆にCG一辺倒とまで言わなくても、脚本が陳腐な映画も散見されるので・・・。
CGはあくまで表現するための道具。作品の質に大きく関わる大切な事には違いないけれど、技術そのものを見せるものとはちょっと違いますよね。
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